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渡る世間は鬼ばかり。いや鬼はいませんよ。ほとんどは 立場の違い、思いの違い。でも生まれも育ちも違うのに 、、、、。いや目的・目標があれば。 しかし不況はチャンスなんだけどなあ。結局世代交代をしなさいとか 体制を変えなさいとか、天からお知らせがあったんだよね。人間は何かないと目覚めない。不思議な事だけど そうなんだよね。 大不況の時に「華道家元」を継承するつもりだ。さあ どうなるか、どうにもならないか、まあ任運だね。と 日々切磋琢磨しています。「今日」が大切。
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以前岡崎市コンサートホールコロネットでコンサート撮影の依頼があり、撮影させて頂いた「オカリナ奏者 大沢聡」氏のコンサートチラシを見た。喫茶イブでの観覧最中の事です。

タイトルが「驚異のオカリナ奏者 大沢聡のいざなう四つの世界」。
3オクターブの音域・重音を駆使してオカリナの常識を越えた演奏と書かれていた。本人は至って普通の感覚の人。素敵な人だった様に記憶します。
私見。『彼の実現したかった音楽感性の世界が三連オカリナの完成により
始まる。その深い音色と心癒される世界は至上のオカリナの世界を越えた。』と書くべきじゃないかなあ。

驚異って書くと、アトラクション的前座みたいな扱いに感じる。能力才能技能技術ではなく、音楽なんだから、、、、、。大沢 イブ

まあご本人がよければ、なんとも、、、、。

2009.7.14 AM10~12 とpm1.30~2.30 全席自由1,000円で約2時間楽しめます。しかし巧い。素敵なオカリナ奏者だと思います。

*ランチご希望の方は1Fのレストランの予約をお受けします と表示。
Tip topさんの事でしょうか。そこには僕のイオン賞受賞作品の「グレーの薔薇」写真が展示されています。もしまだ見ていただいていない方は是非お立ち寄り下さい。綺麗ですよこの薔薇は。
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牧野将典1
アコースティクハープの名演奏家の牧野将典氏のNEW リリース予定のCDジャケットの撮影が終わる。約10時間の乗りは最高でした。前半はお互いに一寸疲れ気味でイメージがついていかない感じで、ましてや雨。太陽燦々を基本に置いていた訳ではないのですが、フラットな仕上げを余儀なくされる条件にチョット珍しく戸惑い。貴公子牧野将典のNEWをイメージ付ける撮影にはさてさてと、、、。
前半の大地を奏でる、二部のスタイリッシュ牧野将典の完成は、しかして無事終了いたしました。

久しぶりにホワイトバランスに悩んだ撮影でした。悩んだ分だけ完成度が高かった気分です。撮影終了後の打ち上げでは三杯目の生ビールが飲めないほど疲労感。その時の彼はもう半分睡眠中。「にこやかに笑いながら半寝む顔」もいいもんだね。お疲れ様でした。ありがとう「やさしい牧野君」
2009の夏は暑い彼がデビューする。

翌日朝から整体に行きました。まだ若いのに。
生きとし生けるもの達の始まりと終わり。そして役目の終わり。役割を果たしたかの様な終焉。
この頃の死についてのスタイルは「潔く、一瞬」「知らない間に」という
苦悩・修羅場の無い「終焉の美学」がもてはやされている。
マイケル・ジャクソンの突然の死。エルビス・プレスリーと重なる。
どう「社会貢献」と「社会現象」を報道するのか。マスコミ各社のコメントには注目している。
おそらくは「スーパースター」という言葉を世界的に普及させた男であったことには変わりない。そして彼はどの星に帰っていったのでしょう。
記憶の中の彼は、僕がロスアンジェルスの友人の家のソファーでワインクーラーを飲みながら、マジソンスクエアーガーデンの「スリラー」のシーンとゴーストバスターズのLDを見ていた事。どうして明くる日にデズニーランドにいくこととなったのやら。記憶というものは飛ぶもので、つながらないはずの事が何処かでつながっている。ハリウッドのラジオシティで個展をしないかとか最近言われるのですが、ニューヨークで個展しないかとか、、、。何も感じないのはなぜなんでしょう。

蘭2
経済大国は総じて精神テンポが速く、せっかちで個人主義である。と言われる。長年文化漬けでした僕がこの視点から「日本だけは経済大国だけど、全体主義の国である」としてマーケティングを実践してきた。
そしてその顕著な事実が世界のトヨタが目指した世界一である。予想どうり製造大国日本は販売先メーカーを追い越し乗り越え不況のどん底にあえいでいる。(この予想はおおかたのマーケッターが分かっていたことで、地元のトヨタ景気の実は懸念を抱いていた)
今はトヨタの方針が変わり、台数では無く「必要性」という正確なヒューマンに変わりつつある。(ほっ!)

つまり経済大国日本は他の精神テンポの速い国々とちがい「心臓疾患で死亡する」人が少ないという事実である。
助け合う精神とその場が「家庭と同等に職場等」がある。という思いやり感と現実であります。地域コミュニティーもそうですし、行きつけの飲み屋もそうかもしれません。 つまりは「ストレスの解消方法」が家族以外にもあるということなのかもしれません。結果的に離婚率向上等というおまけまでついてきている様にもおもいますが、まあデメリット・メリット含めバランス良く。

サークル活動はいいですよね。自分自身が主催している関係で他のサークルに出向くことが少ないとはおもいますが、「和」とい言葉にはデリケートであり、日本的礼節感は失われていない様に思います。
長屋・5人組・公民館・仲間・梁山泊、、、、いい言葉ですよね。
しかし徒党を組むという言葉はしっくり来ない国であることが、フェアーな国を象徴していると思います。(批判分子?)
よく「金太郎飴にならないで」という。これが僕のメッセージの中で一番多い。
個性(価値感・感性・好み)を大切にして欲しいという願い。愛知県にはあり得ない思想です。そして能力才能個性ある人はこの町を離れてゆく。
当たり前の様に皆そういう町。それでいいようだ。ラインの人は言われたことをこなす事が大切であり、それ以外の事を発言する事も、意見する事も出世の妨げになるという。現実に才知は東京・大阪に流れていっている。少なからずとも京都ではない。岡崎以上に。
地域性というものはおもしろい。立地にも寄るのでしょう。
徳川家康が体勢に揺り動かされず、我が精神を鎮めた東京。そしてその東京に御所・宮は移り、でも封建を守り通す京都。その前は奈良の都。
その開放的な立地は東西交流を促し、日本の基礎を創り出す。どちらでもない町名古屋。只の通過点だとよく言われる。自分達の誇りを持たず、あこがれに埋没する歓楽街という人もいた。

地域性。細長い島国だから自然にそうなってしまうのだとお話いただいたこともある。まあ何にしても歴史の古い町は難しいし、ややこしい。

しかしそれもこれもしかたがない事。
あるがままで生きる。あるがままでつき合う。動いているのがこちらならしかたがない事と思わざるをえない。

若い人に最近「花を飾る心から感性を養いなさい」という啓蒙をしている。そしてモノづくり、コトづくり、ココロづくりを話。

お花の先生なのに何してるんですかという会話を先日した。
お花の先生は花を活ける事が役割だと思っているのでしょうね、そんな話をきいたのは人生で初めて。しかも文化開発事業を以前されてた方です。
個人攻撃をしているのではありません。
只あきれたのです。この町ではお花の先生は「お花だけを教えているんですね」
文化人という言葉が好きだ。毎日を仕事で切磋琢磨して、余裕で文化を楽しむ。文化は楽しいもので、制約の中で賓主互換を楽しむ。決して出すぎてはいけない。騒いでもいじけてもいけない。中庸でなければいけない。
芸術はえてして素晴らしいものだけど、ひとつ間違えると自分勝手となる。自分もよくアーティスト的性格と言われるので、そうならない様に
気をつけている。見てもらえるだけの個展はしない。したくない。
いや そうういうのを自分勝手だと教えられて育ってきた。 ほしくなる
作品と買える価格。これが本人の力量だと教え込まれている。まあ顧客第一主義かなあ。
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プロフィール
HN:
minafumi shimizu
性別:
非公開
職業:
華道家 写真家 書芸家
自己紹介:
イベントの華、ショップの華、ゲストハウスの華、グラフィックアートの華(ツール用)等の商業デザイン華を、もう何年やってるかなあ。楽しい仕事です。
しかしそのわりには俺には華が無いなあ!!!悲しい。
誰か僕に華をくださーい。
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