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渡る世間は鬼ばかり。いや鬼はいませんよ。ほとんどは 立場の違い、思いの違い。でも生まれも育ちも違うのに 、、、、。いや目的・目標があれば。 しかし不況はチャンスなんだけどなあ。結局世代交代をしなさいとか 体制を変えなさいとか、天からお知らせがあったんだよね。人間は何かないと目覚めない。不思議な事だけど そうなんだよね。 大不況の時に「華道家元」を継承するつもりだ。さあ どうなるか、どうにもならないか、まあ任運だね。と 日々切磋琢磨しています。「今日」が大切。
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今から約15年前位になるか、裏千家関連会社M社に在職中に、時代は旧暦に戻ると言い切ってきた。今やテレビも書物も旧暦の大切さを訴えている。嬉しい事だ。マーケッターとしてこんなに嬉しいことはない。別に今時の仕事をしている訳ではないが、華道家はいつも旧暦二十四節で生きるべき。
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個人の自由、表現と生き方と運命。
さて運命は計算された様に動くか否か。
HPに「和」レイアウトと現代の花センスを折り込んだ「動画」ふんだんに使って文字を読まなくても、少しだけ「華師 清水南文」の世界を見て頂くこととした。先日京都でエッヂ様の写真を撮ってきた。いや別に京都でなくてもよかったのですが、U寺院の用事が延び、1日空いてしまったので久しぶりに市内をカメラ片手に歩いた。
本当に歩いて河原町・新京極・新風館方面と出向くことは記憶に遠い。
いろいろあった京都。思い出とは言い切れない話。一歩一歩にずしっとくるものがあった。
京都のヒトは確認をしないで物事を進める傾向にある。お互いが憶測・損得で勝手に解釈して進んでゆく。会話の中身がない。会話する前に何もかもが進んでゆく。「ヒトはヒト、自分は自分」という個人主義が徹底している。おそらくは和気藹々という言葉は京都にはまつたくといって無い。

でもエッヂの写真は四条界隈・三条界隈を入れてよかったと思っています。やっぱりなんやかんやいっても30年いた京都です。

そして「僕は僕や」と改めて認識して又京都に望みます。へんな町です。

東海愛知新聞6月11日 当方弟子Y女史は以前着物着付けの世界でミス着物なる称号を得た女傑だ。その恩師の「葵桜の会」三橋美千代先生に岡崎で後進の指導に当たる様になり面談する機会があった。乙川堤防沿いに86本の川津桜が現在は悠々たる世界を築き上げていますが、三橋先生が音頭とりになられて「美」ができた。今度はヒガンバナをハート形にしてやはり乙川沿いに「美」をつくろうと計画されている。先日具体的な話しわお聞きしましたが、「もう体も何もかもボロボロ」と嘆いてはお見えになりましたが、目はしっかりと明日を眺めてみえました。 素敵な方です。
老いてもこう有るべきだなあと資質だけでなく、いつも目的を持っていきている姿勢に脱帽。本企画は「カミナリの会」が主催され、桜同様「自分達が植えた球根が芽を出し、花を咲かせる」感動を、、、、、

又機会があれば応援部隊で出向きたいと思います。「花いっぱい」運動には率先して参加したいですねえ。
どうもスナップ写真というものが撮れない。いや撮りたくない。何となくドラマチックで音が何らかのイメージで聞こえてこない作品は写真に撮れない。一方華は無音の緊張感が欲しい。書は遊びたい。

今 林のたっちゃんのシンセで作ったクラブミュージックのテスト版を聞きながらブログ書いています。音楽で気持ちを乗せる。

最近はシンセの音楽を聴くことが増えた。たしかな疲れない重たくない。
今シタールの音が全身に躍動感を作り始めた。アユルペーダの世界だ。
キーボードの指がピアノ演奏の様にキーに張り付いたように自然に動く。
見てて気持ちがいい。キーを押していて気持ちがいい。文字が美的に刻まれてゆく。考えないでかってに文字が並んでゆく。ボーカルがじゃましている様に感じる。おそらくはボーカルが悪いのではなくシンセの演奏がイーのでしょう。ミス録がある。たっちゃんはそれがお洒落だという。クラブでの皿回しの世界のコトイメージしているのだと思うけど、ちょっとミスっぽい。もう少しだなあ。でも作者がこだわればそれまでだし、でも聞くヒトが大切だと思うので 一度連絡して意見いって見よう。

タイトルは「ガンダーラ」 あのガンダーラです。

昼間、教授の稽古稽古をつける。五景花について指導をする。
前飾り、奥締の意味を再認識しながの稽古。静かな時間が流れてゆく。
H教授は「この時間が愉しい」いう。まさに覚えよう教えようでは無い。
花時間が大切であるのです。又「至福の時を本当に感じる」という感想わいわれたことがある。 本当に「華心」はそういうモノ。
戦後茶華道の普及に伴い、日本全国が文化の意味を忘れて、偉そうにふんぞり返る国家資格でもないのに、かじりかけの教養で弟子をとったり、家元を勝手につくったりしてきてた乱れに乱れた現象が目立った。 当然僕は小学時代からそんな修羅場の文化を批判しながら育ってきた。
母は家元の名に恥じない名士だけど、努力の中身が違う。こういう本物の元で勉強していると世間の文化程度が情けなく思えてならない。

幸せな事だ。私は今 華道の中にいる。芸術家かもしれませんが、道をきわめて行く事が解脱する事ではないと信じています。
私は「強く・美しく・そして賢く」輝くことが文化の一番大切な事であり、芸術性・社交性は本当に必要な要素だと思います。
明日から京都。京都の家に帰ります。
あー疲れた。なんで岡崎は自立した一人の人間としての価値や創造性を大切にしない人たちが多いんだろう。金太郎飴がホントに好きなんだねえ。
横を見て、上を見て24時間勤務。まあだから日本社会は平和にやってこれたのかもしれませんが、「個性」が無い。個性といえばぎゃあぎゃあうるさいおばさんばかりが「個性」と勘違いして町にはびこっている。

暫くは京都で静かに本でも読んで来よう。30年いたからじゃない。静かな個人主義・地元主義の京都は勉強にはなりますよ。
我が家には網戸がない。最近は日本も熱帯地方になり、早くから暑い。
37万都市なのに、町一番の繁華街?なのに我が家の回りだけ田圃。蛙の
声が聞こえ、車の爆音が聞こえ、父がお決まりの1時にトイレに起きてきて
「まだ起きてるのか」と。起きてるから目の前にいるんやと言うと、?????となって、「ほなお休み」といい寝る。毎日が同じ会話の一瞬。まだ有る。寝るときは「1時に又会いましょう」というと怒り出す。
でも1時になると起きてくる。
毎日が変わらぬ会話。今まであまり無かった。いや老いた人の事を言って
いる訳ではない。
不思議なのは「同じ会話。同じ様に怒る。同じ様に起きてくる。同じ様に寝る」改善も前進も反省もないけど不思議に自然体なんですねえ。
今までこういう自然体に出会っていなかったのかもしれません。皆さんはどうですか。 

かゆい。蚊に刺されてかゆい。先日はネズミが走り抜けていった。
以前はトカゲが昼寝の僕の体の上を通過していく我が家でしたから、懐かしい。
それも風情・情緒かなあ。 町の中の我が家。この地に最初に住み始め、回りは田圃しかなかった処が今町の中。
我慢と辛抱。しすぎてうつ病になる。器を超えるとうつ病になる。しかし
要求と欲求がふくらむ。人間社会は難しい。今日リストラをしなければ
いけない立場の人からの不安と先の予感の様な電話。元気づける反面、自分に振り返ると自分は気だけを張っている様にも見受けられ、なぜかもう一つ安堵感が無い。この頃多い感覚。何が有るのだろう。不安でも不信でもない。もちろん自分に対してですが。

毎日が結構忙しい。目的を持って生きているからだと自分に言い聞かせている。先日は突っ張り過ぎだと心配して友人からアドバイスを受ける。本人は全然そんな気しない。価値観の違いを指摘され「なるほど」とうなずく。詩人や小説家ではないので「情にさをさせば流される。とかくこの世は難しい、、、」とは言い切れないが、何となく町も静かだし、浮いた話もないし、潰れた・壊れた・別れる等と話もヤヤコシク疲れる。しかしなぜ人は人を傷つけたり、切ったりするのだろう。 分からない。けれど最近の話にはなぜか、この世の価値が本当に変わってきている様に思う。
もう暫くはこのままで、今までの僕でいられそうだけど、みんなが変わってゆく気がしてならない。

友人の影響か2012には「価値」が変わるという。もう少し具体的に聞いておいたらよかったのだけど、「価値が変わる」のか「価値観が変わる」のか。
お花の先生って相談される事多いんですよ。いろいろ。昔からそうみたいですよ。頑張ります。あまり難しい事相談しないでください。うつ病になりそう。(なりませんよ / 免疫ありますから)
文化人という言葉が好きだ。毎日を仕事で切磋琢磨して、余裕で文化を楽しむ。文化は楽しいもので、制約の中で賓主互換を楽しむ。決して出すぎてはいけない。騒いでもいじけてもいけない。中庸でなければいけない。
芸術はえてして素晴らしいものだけど、ひとつ間違えると自分勝手となる。自分もよくアーティスト的性格と言われるので、そうならない様に
気をつけている。見てもらえるだけの個展はしない。したくない。
いや そうういうのを自分勝手だと教えられて育ってきた。 ほしくなる
作品と買える価格。これが本人の力量だと教え込まれている。まあ顧客第一主義かなあ。


元気に岡崎市図書館交流プラザ(りぶら)の教室が始まりました。目的は
会員の皆さんの文化的交流。私自身岡崎市の生涯学習教育市民講師として
まず「華のある市民都市/岡崎」を目指します。

しかし判ってくれるかなあ。組織派閥社会の皆さん。これからは開かれた
町造り・心作り。型にはめて人を管理するのではなく、感動を共有する事
で無意識に体が動くようになる町作りをしてほしいよね。

ぐちブログではありませんよ。
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プロフィール
HN:
minafumi shimizu
性別:
非公開
職業:
華道家 写真家 書芸家
自己紹介:
イベントの華、ショップの華、ゲストハウスの華、グラフィックアートの華(ツール用)等の商業デザイン華を、もう何年やってるかなあ。楽しい仕事です。
しかしそのわりには俺には華が無いなあ!!!悲しい。
誰か僕に華をくださーい。
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