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毎日をよどみなく暮らしていた京都。
「華道界の矢沢栄吉」でなければいけないときたのは、S氏との再会。どうみても彼のほうが、矢沢栄吉みたいだが、華道界ではないのでキャラクターイメージをこれに決めた。
動画を入れたのは、今どき文字を読まない人が増えたということと、文字のイメージから伝えられる推測より、動画の方が確実に伝わるということを信じていたからです。
とくに誰かに相談したわけではない。 ただ以前カラオケ業界にいたとき、映像企画・制作と販売をしていたので、具体的に効果については創造をしていた。
結果は悲惨な回答。お歴々からは「頭がおかしいんじゃないかい」「過激だ」「立場を考えて」とか、もっと凛々しく、さわやかな姿でとか、、、、、。
という評価で注目をあつめることになった。「アホ・馬鹿・ボケ」とは信頼関係があってこそ使える励ましの言葉。
いい感じの罵声でした。ありがとうございます。
もうしばらくはこの矢沢的動画をたまに見て「あほらしく」なって下さい。きっと元気がでてきますよ。
まあ何にしても「元気でなきゃ」始まりません。なんでも思ったことを人の顔色窺わず、一所懸命がんばる。
元気でないやつにはできないことは、「アホ・馬鹿・ボケ」を乗り越えることです。
座右の銘 「アホで結構、メリケン粉」
意味は僕もよくわかりませんが、「開き直って、強く生きる」気合いのようなもの。ずいぶん以前そうとう前、浜村淳のラジオ番組のリスナーからの「一言」。 いろいろ言われて開き直り「アホで結構、メリケン粉」といったという内容。 僕は運転しながら、爆笑してしまった。以来この言葉からロッキーのテーマが流れ出す。
以外に普通の男ですね。僕は。(スイマセン)
最近ヘルペスがはやっている。ためしてガッテンでは、実は体内には感染していて、免疫力が低下して発病する病だと報道。
新型ウイルスはだから免疫力が低下している人に罹りやすいかと思えば、若い人にしかかからないという。
マスク使用は一時市場からマスクが無くなって、意識が無くなった。
日本は売れるものを作り、売る。世界中には必要なモラル・伝統を守るために作り続ける価値を公的に認め、
支援している。
今マスクは売り場に反乱している。店頭や会場入り口では消毒液が配備されているが、問題が起こってから行動に移す自治体・店舗か゜多い。モラルというものが低い。自分に関係ないと決めつければ、興味も持たない。
すべて保身と計算で埋め尽くされている。
甲子園球場での新型ウイルス感染。おそらく何の予備知識も伝えることなく又予防もしなく、高校球児たちは夢
にのみ向かって、そして感染した。
ニュースで見たとき、日本の軍隊の考え方・価値観・優先順位を思い出した。
海外で以前仕事を経験してきた限りでの見解では、体制大局が国勢であり、意見具申のあるものから解決するという意識は日本的というしかない。人権養護の必要の価値の低さが改めて、、、、、。
硫黄島玉砕という映画の実写シーンの放映を思い出した。崖から日本兵が落ちてゆく姿。追い詰められて崖から推される様に落ちてゆく。
悲しいことですが、日本は製造業の国。ラインができれば、金太郎飴のようになるしかない。どこにもインテリジェンスなパーソナルアイデンティティーはない。
モネに師事したかの有名な日本人画家が、モネの影響を受けすぎて、師事したことを後悔したという報道をTV番組で耳にした。日本人だなあと感じた。
日本の華道教室では、いまだに先生の活けた華を見本にして、マネするという事と、見本がなければ活けられないという悪弊がつづいている。そしてそれがバイブルを学ぶような価値があることを論じている有知識者が多い。
製造ラインには「言われた事を言われたようにこなすことが大切であり、意見具申は必要ない」という定説がここ愛知県にはあるようだ。ましてや感性・知性なるものは必要ないという始末だ。
これどこかで聞いたことある。
奴隷制度の様だ。 日本にもリンカーンは必要な時代がやっと来た。
みんな頑張ろう! 親と先祖からもらった大切な心と身体を、自分の為に生かして生きよう!
岡崎を知る人なら、岡崎城・岡崎図書館交流プラザを配する旧繁華街、康生町。その繁栄の中心でした松坂屋。高校時代は街角街角には人だらけでにぎわう街でした。
郊外型のショッピングモール進出と車大国日本の象徴的市町村を配する三河地方のインフラは完全に電車・バスから自家用車社会に転じてしまった。
もうこの町には電車・バスという時代は来ないのかもしれません。しかし終日駐車料無料というシステムは財政を圧迫するように聞き及ぶ。
おそらくは店販という繁栄は当分望めそうにない。
徳川家康はこの地を見捨てて東京に出たという説がけっこうまかり通っている.保守的で質素倹約の町岡崎。
新しいもの・こと・ひとの動きに対し、「様子見」というけん制をする県民性。京都より商売が難しい処というのには、日本人の気質の根本が潜んでいるように感じたことがある。
京都のコピーという世界。伝統工芸・伝統食品の中では、同じ職人技が多い。衣食住関連すべてのコピーがこの地方にある。しかしこのコピーが消えゆく時に貧している。
儀式・伝統を生活に生かさない。親から子に伝えない。いや新暦になり、靴・スーツ生活や床の間・仏間なるものが無くなり、先祖も重んじないし、優秀な頭脳は県外に流出してゆくし、37万人都市とは思えないような世界がある。
以前エフエム岡崎なる地方エフエム局に出演した折、「足早になってきた町」というコメントをしましたが、せかせかしている。そして町には車は見ますが、人を見ないようになってきていると感じたと、、、、。
ホワイトカラーに対してブルーカラーというレッテルを貼り、岡崎を捨てた友人に会う。僕とは少し見解が違うが、確かに日本の95%が製造業であり、大半の日本人はその中に従事している。日本中がブルーカラーだ。
そしてシンクタンクなる価値は低い。現場主義の大国だ。T社の世界一宣言の時、京都にいた。ニュースで聞いた。そしてあくる日の新聞の一面に見た。
なんとなく属国日本には必要のない一番のように感じた。浮かれる愛知県、憂うる京都かな、、、、、、。
しかして予感は的中。原因は証券業界の不祥事といえども、一番に対する余波は非常なる制裁が訪れた。
時代が変わる。日本は「ハードの時代が終わり、ソフトの時代になる」と宣言したソニーの盛田会長のコメントを思い出す。
この度の衆議院選挙。各候補者のコメントの中で、科学技術の優秀性をより強調した外交を宣言した議員がいた。名前は記憶しないが、「基礎開発の頭脳」は世界有数なのでしょう。
しかし国の治安が崩壊する時は、きまって母国の気質・風土から生まれた価値を失った時に始まる。
日本には四季がある。そして風情という美意識がある。祭りに代表される儀式がある。それが消えつつある。
仏間・床の間が無い住処が大半の住宅事情、、、、、、、。
確実に温暖化で「日本」が無くなってきている。
エリック・クラプトンの「チェンジ ザ ワールド」でも聞きながら、将棋の駒を動かしてみてください。しかしそこには自分も入っていることをお忘れなく。
僕のカラオケ作り(大衆文化/健康志向)のこだわりが始まる。
裏千家15代鵬雲斎宗室次男伊住政和氏と生死を越えた会話が始まる。
平成15年2月2日 腎不全にて逝去。
最近は何してますか。僕は相変わらず「健康」を求めています。
心筋梗塞・狭心症・糖尿病・バージャー氏病と言われ、国立循環器センターに担ぎ込まれて「死」の宣言。
そして健康だった宗匠が先に逝去し、僕は未だにこの世。
人生は縁。そして任運。数年前からよく「あーしろ・こーしろ」とメッセージを送っていただいてありがとうございます。
東京の麻布十番で「アンチエイジング サロン」をプロデュースして、なんとなくホッとしています。
これで宗匠との会話で僕がしなければいけないことが、判りました。
お導きありがとうございます。でも大変な道のりですよ。 抹茶点ててる場合ではないですよ。
そして4年前にバージャー氏病は歯周病菌と同じ菌にて発病することがわかり、血栓除去等の処置で未然に防ぐことができる様になった。
現在は安定している。というより症状はない。それに長年使用に研究してきた、マグネットによる血液循環を良くする方法で、普通の人と同様の身体に戻りつつあります。ほぼエンジン全開体制になりつつあります。
全く道に迷うことなく橋本まで到着したときには、「さあ高野に登るぞ」という気合いが入ってきました。幾多のご縁を頂きながら高野に登るのは初めてだ。
大門で初めての小休止。少し歩く。800年前に歩いた人がいた処を僕も歩いている。観光気分はない。読経が早朝にもかかわらず、聞こえる。
聞こえて欲しいという錯覚ではない。
奥の院の裏まで車で移動して合掌。今日の随行の予定を下見する。私だけの予定は徳川家霊台に参拝する事。早速に済ませて新管長が就任された桜池院にて待機する。名古屋の金龍寺の住職が管長としてお見えになられている。初めてお会いしました。
奥の院は東南アジアの大寺院を思い出す壮大さと力強さ。ここでは今も弘法大師空海和尚が生きておられることとして食事を毎日上げ下げされている。スゴイ考え方です。ローマ以上に感じる「気」の世界があるのでしょうか、眠いはずの目は輝くばかりにあちこちに走り、意識と感覚ばかりがさえてくる。癒されるのでは無く、鍛えられる感覚がひしひしと伝わってきます。
修験道の聖地。高野山。そして大本山金剛峰寺・奥の院。ここは町では無い。国ですね。
感覚的に思いを走らせた言葉。「一年かけて息をを吸い吐き、800年で800回しか呼吸をしていない寺」
ゆっくりと生きるとは、、、、。毎日を変えない様に生きるとは。質素で倹約的な生活感とは。堅実である事とは。
そして何より「研ぎ澄まされる」とは。
僕の今日の顔写真です。
豊田市のある由緒ある寺院の御曹司の方からのご相談。このブログに書き留めたい事がありましたので、書かせて頂きます。ご理解を。
雲龍院の撮影を終えて、特に今回の撮影は緊張の連続。龍華会事務長からの特別要請で、ご本尊を撮影してほしいという事。事前にお話していただいたのですが、撮影環境はあまりよろしくない。しかしてその話はできない。当然の事。ありがたき幸せを頂いて感謝以外のナニモノデモでもありません。そして精魂尽きて帰郷。最近は新名神を使い岡崎まで帰る。京都の人だから岡崎に来るというのが本来かなあと、、、、。かもしれない。
さて豊田市のある寺院の御曹司。仮にS氏とします。とてもピュアーな方で、「守破離」をよく理解されている様です。
とにかく任運。運命に任すしかない人生を知る事が、幸せと笑顔を作る事。奢りも夢も希望もなく、切磋琢磨していますと。
小生がアドバイスする事、立場ではないにしろ、「真剣に人生を考えて神経質になり、笑顔を失うより、又人からの評価・視点に神経質になるより、自分がやってみたいことを思いっきりやって、人生に後悔しないほうが大切なのでは」とお話させていただきました。僭越な話だとは思いますが、質問に対して答させていただきました。
人格形成と自分実現とはいつも背中合わせの人生。感情と理性という価値感で評価する人も多い。人それぞれでいいとは思いますが、自分を裏切る様な事は避けたいですね。 拝
気迫をいつも感じる天野君。武将の顔。優しさの奥に秘めたる根性は並はずれた才人。文化都市「岡崎」作りには絶対に必要なキャリアを持つ人。
メキシコに都市開発の勉強に留学。いつだったか「メキシコ人は自分達の手でドンドン家や町やコミュニケーションを作ってゆく」という話をしていた。心に残る。自立精神・依存心の無さだと感じられる日本。統一的価値・シンボリックな国作りを前提にしてきた日本との違いを話していた記憶がある。
僕か「金太郎飴反対。自主的価値と感性を持て」と啓蒙している事と同じ価値感だ。
岡崎には徳川家康の「質素倹約・質実剛健」というイデオロギーがしっかりねずいている。
新しいモノ・コト・ヒトに対する警戒心と距離感は「様子見」の岡崎と言われる根幹の人間性かもしれません。
伝統社会にいて現代市民文化「カラオケ文化創造」に従事してきた僕に興味を示してくれていることは嬉しい事ではありますが、私は「やりきる事が肝腎」という言葉をプレゼントしたいと思います。貴方ならできる。あなた達なら屈指無いと、心から応援したいと思います。
りぶらまつりの意味・立ち位置そして「泣ける程良かった」というまつりに仕上げてください。
「騒ぐな」と看板でも掲げられているのかと思われるほどです。
りぶらの近くに「打ち上げをするライブハウス」というコンセプトの店を作ってはどうでしょう。
りぶらで沢山ジャズコンサートを開いて頂き、終了後ライブハウスで打ち上げをする。そしてそこでもミニライブ。サイン色紙と写真やららくがきやら。オープンカフェタイプでピンボールやらなんやら、、、、。
もちろんレーベル作りを基本に置いたブランド戦略。
官民の官に非常に遠い位置にいる「魂の叫びをマーケティングできる、杓子定規では無いハート派」がブッチ切りで進める事が条件の様な、保守社会。花火大会・よさこいに匹敵するイベントにジャズストリートが成長する為には「O市民全員音楽家宣言、芸術家宣言」位で望みたいですよね。
楽器1つあれば勝手に参加。筆一本。カメラ一丁、、、なんでもアートとか、、、、。
静かで「破天荒・躍動感」を嫌う町の体質を誰が破るのか。この醒めた視線と事なかれ主義に目を向けない奴が出てきて欲しいものですね。
てもその分住みやすい町でもありますね。
いつも変わらぬマネージャーと奥様。とても仲の良いお二人。きどりの無い普段着の会話に「心から甘えさせていただいて」おります。
普段着になれる人と普段着になれない人があるのだなあと、この年になるまであまり思わず、考えず生きてきた気がします。おそらくは特急列車に乗ったまま社内弁当を食べ、椅子で寝て、車掌さんの切符の検閲を受け、
隣の客とだけしゃべりながら、今まで来たように思います。
このお二人と話していると、左右反対側の席のお客様と話している様な気持ちになります。すこし遠くをみて話している自分がみえます。
とてもいいことだと感じています。
お花活けていて、少し離れた目線で華を見てみると「ちょっと」違うなということに気付く時がある。そんな心地よさがある。
同じ方向を向いている列車に乗っていることには変わりないと思うのに、
何か違う方向に行っている人に出会う事がある。
客車が違うなあと思うときも多々あった様な気がします。
4周年おめでとうございます。今後共よろしくお願いいたします。
数人の方にホームページが立ち上がった事を知らせる。動画という見せ方ができる様になつたら作ろうと思っていた。文字は本当に読まなくなった昨今では、動画が一番伝わり易い方法かもしれない。
「驚いた」というメールが届く。でも一回の感動を超えることは無い。いつも新しい情報を伝えなければ、いづれは消えてゆくホームページ。まだ
印刷物の会社案内の動画化の域を超えていない情報は、とにかくブログをよんでもらうしかない。
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しかしそのわりには俺には華が無いなあ!!!悲しい。
誰か僕に華をくださーい。